Cheer Up Japan !! 閖上訪問記その1
こんにちは。アースフレンズの角田です。
2011年5月、東日本大震災の復興支援にアースフレンズとして少しでも力になりたいとはじめた
Cheer up Japan!! 〜バスケで日本を笑顔に〜 は活動を初めて1年が経ちました。
その間、チャリティーTシャツの購入やチャリティーイベントの参加など、
とてもたくさんの人にご協力を頂きました。どうもありがとうございました。
先日の発表にもあったとおり、寄付金の総額は215,135円にのぼりました。
この寄付金を届けるために、代表の山野、コーチJこと甚田、そして角田の3人で
5月5日に宮城県は名取市の閖上地区に行ってまいりました。
今回のブログではその訪問記を2回に分けて掲載します。少し長くなりますが、お付き合い下さいm(__)m
ゴールデンウィークの終盤、5月5日のこどもの日、復興の象徴はやぶさ号に乗って
一行は8:12東京駅を出発。
車中では朝ごはんを食べたり、うたた寝をしたりしていると
あっという間に9:48仙台駅に到着。
今回の訪問先である、閖上(ゆりあげ)バスケットボールクラブ(通称YBC)の
荒川洋平さんとのアポは午後なので、一行はランチを食べる場所探しを開始。
仙台と言えば牛タンということで、人脈を頼りに美味しいお店をリサーチ。
もちろんアスフレメンバーにも聞き込みしましたよ。
朝から突然の電話やメールに快く答えてくれた人、ありがとうございました(^^)
いくつもの候補から、チョイスしたのは、ここ「真助」
路地裏の小さなお店ながら、開店前には行列ができる人気店。
切り込み隊長のコーチJが並んでくれたおかげで、無事に開店と同時に席に着けました。
肝心なお味も最高!
3人とも、今まで食べた牛たんの中で一番美味しいと大満足です。
みなさんも、仙台に行く際は「真助」オススメですよ(^^)
腹ごしらえを完了したところで、レンタカーを借りて一行は今回の目的地でもあり、
荒川さんとの待ち合わせ場所でもある名取市へと向かいました。
ここで、荒川さんと、なぜ今回荒川さんの所属する閖上バスケットボールクラブ(YBC)を寄付先に
決めたのかを簡単に紹介させていただきます。
マネジメントチームでは、みなさんから頂いた義援金を被災地の、
それもバスケットボールに縁のある方々に寄付したいと考えている時に
アスフレのバリバリチーム女子がお世話になっている、大野慎子さんに荒川洋平さんの
存在を教えて頂きました。
荒川さんは、名取市の閖上地区の出身で閖上バスケットボールクラブ(YBC)に
所属しています。
東日本大震災で荒川さんの実家は被災し、弟さんを亡くされ、お母様は今でも行方不明です。
そんな荒川さんが、閖上の復興の一助になればとブログはじめたブログを山野が読んだところから
話が進展を始めます。
ブログには、震災直後の揺れ動く心境が素直に赤裸々に綴られ、
閖上の復興のためにとYBCが中心となってスマイルバスケットボールというイベントを開催したり
荒川さん自身が名取市の市議会議員となって活躍する姿が描かれています。
このブログから感じられる荒川さんの人柄や、YBCの掲げるスマイルバスケットボールが
アスフレのCheer up Japan ~バスケで日本を笑顔に〜に通じることなどから、
寄付先をYBCにしようと決めたのです。
荒川さんも、議員活動でお忙しい中の合間を縫って、今回の訪問を快く受け入れて下さいました。
ありがとうございます。
そんな荒川さんとの対面は、名取市にあるショッピングモールで実現しました。
が、大型のショッピングモールにも関わらずその日は駐車場が満車状態のため
車を停める場所の確保に一苦労。
すると荒川さんから、「最近、この近くに引っ越してきたので私の自宅に行きましょう」との言葉が。
遠慮する私たちに「大丈夫ですよ」とさわやかなスマイルで応える荒川さん。
その笑顔は、荒川さんのサイトでみた笑顔以上にイケメンでした(笑)
荒川さんのご自宅に到着。近くには、バスケのゴールがありました。
最初はバスケ談義。YBCは強豪とは聞いていたのですが、実際どのくらいの強さなのか
率直に聞く代表の山野。すると返ってきた答えにびっくり、5年連続で宮城県大会の決勝に
進出している県内屈指の強豪なのです。もちろん、優勝もしています。
これには、その日の夜にYBCの練習に参加することになっていたコーチJこと甚田の目付きも変わりました。
一方、山野と角田は早々に「今夜の練習は見学だけにさせて頂きます」と宣言。
YBCは、今年の夏に東京遠征を計画しているとのこと。
ぜひ、アスフレのバリバリチームと試合を、とお願いしたところ
荒川さんからも「良いですね。」と前向きなお返事が。
これは、ひょっとすると、アスフレ VS YBCが東京で実現するかもしれませんよ。
バスケ談義が一段落すると、閖上地区の復興についてのお話を聞かせて頂きました。
7年計画の復興。一口に復興といっても、住民の方の思いは様々なことを知りました。
建物を元通りにすることを復興と考えていた自分が浅はかだと感じた瞬間でした。
そして、荒川さんの案内で被災地である閖上地区を回ることに。
仙台駅から名取市に向かう時の車窓からは、1年前の大震災の爪あとを感じることは
ありませんでした。いったいどのあたりからが被災地なんだろう、そんな会話しながら
車を走らせていました。
しかし、閖上地区が近づくに連れて、私たちの口数は少なくなって行きました。
不自然に歪んだガードレール、完全に倒れている街灯、1階部分が壊れて人気のない民家。
テレビで見たことのある光景とはいえ、この目で見るとやはりショックです。
最初に車を停めたのは、荒川さんたちが最近始めた小さな畑。
復興のことを考え、農業の勉強のためにと始めたそうです。
畑のすぐ隣には民家がありました。
この家に住んでた方は、震災当日2階にいて津波から難を逃れたそうです。
1階は津波にやられています。
手前に転がっているのは、屋根の上に乗せて太陽光でお湯を沸かす装置。
津波がここまで流してきたのでしょうか。
iPhoneの地図で確認したら、この場所は海岸線からまだ数キロ離れていました。
紫色のピンの位置です。
当然、肉眼で海を見ることは出来ません。
自分がここに住んでいたら、津波が来ることはとても想像できない、
3人が口を揃えて感じたことです。
続いて、荒川さんの故郷でもある閖上の海岸近くまで移動しました。
海岸からの距離はこんな感じです。青い丸の位置にいました。
ちなみに、青い丸の左上にある閖上中がYBCの本拠地でした。
ここで毎週のように荒川さんたちはバスケをしていたのですが、地震と津波の影響で
今も使うことができないそうです。
日和山富士主姫神社という少し小高い丘の上に登り閖上地区を見渡しました。
6000人以上の 人が住んでいたという閖上地区。
しかし、今はその活気に満ちた街並みを想像することができません。
家はほとんどが津波で流され、残っているのはブロック塀の土台だけ。
山野がつぶやいた「遺跡みたいだ」という一言がぴったりすぎて印象に残りました。
正面に見える煙を上げている工場のような施設は、がれきの焼却のために
震災後に作られた焼却場だそうです。
車で走りながらだったので写真に撮りそこねてしまったのですが、
テレビでよく見る陸に打ち上げられた船は何回も目にしました。
テレビで見たことのある光景ですが、この目で見ても信じられない光景でした。
続いて、閖上小学校に移動しました。場所は、青い丸の位置です。
海岸線から離れたこの小学校にも津波は押し寄せ、児童たちは校舎の3階で
難を逃れたそうです。
閖上小学校の体育館には、自衛隊の人たちが集めたアルバムや衣類などが
集められています。
写真は、一度都内などでボランティアの手によってきれいに洗浄されてから
こちらに戻ってきているそうです。
体育館の入口並ぶランドセルやトロフィーなど。
急に「人」のリアルさを感じて、思わず中に進むのをためらいました。
体育館の中に入ると、衣類や写真などが整然と並べられています。
賞状や卒業アルバムなども。
体育館の壁には、写真の洗浄などを行った県外のボランティアからのメッセージや写真がありました。
ボランティアスタッフの方々が作業をしていました。
膨大な数の品々を整理していたのでしょうか。
震災から1年以上経っても、これだけ多くの品々が残っています。
そして、それを探しに来る人も後を絶たないそうです。
閖上小学校を後にして、私たち一行は仙台市内にあるこの日の宿に戻りました。
この日の宿は、何と荒川さんが以前住んでいたマンションをお借りすることに。
どこまで良い人なんでしょう。本当にありがとうございます。
その2に続きます。